事務所通信
税務情報だけでなく、他士業の先生方からも有益な情報を頂戴し、
法律・労務人事・不動産・社会保険など幅広い情報をタイムリーに発信しています。
事務所通信 > 横浜西部地区 緑支部について その3 [横浜西部地区緑支部]

横浜西部地区 緑支部について その3 [横浜西部地区緑支部]

2011-08-03

 さてそんな田畑と丘陵地帯に囲まれた田舎で育った私の遺伝子は、
根っからの農耕民族そのものです。
 横浜市といっても長津田のある緑区(旧港北区)や戸塚区、瀬谷区
といった西部地区は、海に全く面していない地区ですから、ハマッ子
と言われてもピンときません。

 私は中学校から横浜市中区山手にある私立に通いましたが、その生徒
の大半は横浜市中区、西区、南区、金沢区、神奈川区といった横浜市の
中心部から通っている生徒でして、横浜線を使って通学する生徒はほんの
少数でした。
 彼らからは、横浜線通学組の我々(といっても数名)をよく「どこの山
奥から出てきたんだ、山猿め!」などと失礼なことを平気で言われました。

 私の中、高校時代ですから昭和43年?48年にかけてですが、横浜線
は単線で、車両もこげ茶色のいかにも田舎電車の風情でしたし、電車の中
も床が木で走るとギシギシ音を立てていました。横揺れも激しく乗り心地
はお世辞にも良いとは言えませんでしたが、不思議に座ると良く寝れまし
た。あの音と揺れが逆に良いリズムで睡魔を誘ったのかもしれません。

 当時緑区は港北区の一部であり、後に横浜市の人口が急激に増加していく
中で、港北区から緑区が分離し、さらに緑区から青葉区が分離し、港北区の
一部と青葉区の一部が都筑区に分離し、現在の横浜市18区となりました。
(他に戸塚区から栄区や泉区などが分離していますが、ここでは省略します)
 
 緑税務署は、緑区が港北区から分離した際、当時の神奈川税務署から昭和
60年に分離新設されました。
 これを受けて東京地方税理士会緑支部も、昭和60年7月23日に神奈川
支部から分離新設されました。
 当時は東京地方税理士会は、神奈川県、千葉県そした山梨県の3県をその
テリトリ?としていましたが、後に千葉県が分離独立した結果、現在では
神奈川県と山梨県の2県を管轄領域としています。

 緑支部が誕生した当時の支部会員数は96名だったそうです。現在は約
300名強の会員数を抱えるまでになりました。
 つまり26年間で3倍以上の会員数になったわけでして、これだけの伸び
率となった支部は全国にも例がないそうです。
 ちなみに緑税務署の署員数も現在170名余ですが、発足当時はその2分
の1程度であったそうです。
 いかにこの地域が短期間に急激な都市化を遂げたかがお分かりになると
思います。