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横浜西部地区 税理士会緑支部について その2 [横浜西部地区緑支部]

2011-08-01

 私の生まれた昭和30年代というと、敗戦国日本がようやく戦後復興を遂げ、
さあこれから高度経済成長に向かおうという、日本全体が一番元気でヤル気
に燃えていた時代であったようです。

 自分の住んでいた長津田地域にも、地方から人が押し寄せてきて、急速な
都市化が進んでいました。
 自分が生まれる前、昭和の初めごろの写真が家にありますが、その写真
に写っているのは山と川そして田畑であり、家は田畑の間に点々と数える
ほどしかありません。
 
 私の幼少の頃は、国道246号線の南側に岩川が走り、その周辺は一面
田圃でした。今その面影が残る地域と言えば、横浜市青葉区寺家町です。
なつかしき里山の風景。
今も私のふるさとの光景が脳裡に焼き付いています。

 昭和30年代後半から急に都市化が進みだし、昭和39年ごろに今の国道
246号線が開通しました。時をほほぼ同じくして東急田園都市線が開通
しました。
 当時田園都市線は現在でいう大井町線で、自由が丘経由で大井町まで
行っていました。
 見渡す限りの田園地帯を電車が走る何ともロ?カルな風景でした。
開通して間もなく、親子で田園都市線を始発駅である長津田から終点駅で
ある大井町まで乗る旅に出かけました。
 まさにピクニック気分で、子供心にこんな田舎で何もないところにも電車
が走るんだ、と不思議な気分で窓の外の風景を眺めていました。

 特に今の青葉区青葉台、あざみ野、たまプラ?ザといった今をときめく
おしゃれな街は、長津田よりもひどく人家すら見当たらない、見渡す限り
の丘陵地帯でした。まさに山、丘を切り開いて鉄道を敷いた、それが
田園都市線の始まりです。
 当時両親からは、今の青葉区、都筑区は横浜のチベット地帯と言われ、
人よりもタヌキやキヌネの方が多いのでは、と言われたまさに山里でした。

 長津田駅周辺は、国鉄横浜線の停車駅でもあり、江戸時代には大山詣で
の宿場町として賑わった街でもあり、当時は長津田周辺か都筑区の川和町
周辺が文化の中心でしたので、田舎育ちの私からみても田園都市線から
見る車外光景はとても新鮮でした。

 昭和39年と言えば、東京オリンピックの開催年です。首都高速道路も
その頃に完成していると聞いていますし、この頃から日本が本格的に
高度経済成長路線に完全に乗って、飛躍的な発展を遂げる分水嶺となった
あたりの時代です。

 古き良き時代の感傷が長すぎました。が読者の方々には、横浜とは言え
如何に長津田そして緑区、青葉区が片田舎であったか想像がつくと思います。