サ?ビス過剰社会への警鐘 その2 [サ?ビス過剰社会への警鐘]
2008-11-21
ニ?ズがあるところサービスがある。しかも現代社会では、顕在化されたニーズに止まらず、潜在ニーズも掘り起こせ、というのがビジネスの合言葉ですから、こうなるともうサービスには際限がない。
人間の欲望を満たすためにサービスの提供が生まれ、新たなサービスが提供されることにより、さらに人間の欲望が拡大するという、まさに相互が干渉しあって無限大の世界となっていきます。
こうした現状を見るにつけ、そもそもそこまで人間の欲望を肥大化させる必要があるのか、という疑問が出てきます。
市場社会に生き残るためには、サービス競争を永遠に繰り広げていかざるを得ないことも分かりますが、その結果サービスの提供を受ける側の人間は幸せになっているのでしょうか。
これだけ高度なサービスを提供されても、心にすきま風の吹いている人が大半なのではありませんか?
むしろ私にはサービスの過剰提供が、モノやサービスへの依存度をますます高める結果、人が孤立化し、ますます孤独感を強めてゆくのではないか。そういう意味でサービスの過剰提供は、人間を幸せにするどころか、むしろどんどん個に追い込んでゆく魔物ではないか、と感じています。
前に私の愛読書としてご紹介した「悩む力」にもありますように、科学は人と人を分断させる。そして分断された個々の人は、大いなる便利さと引き換えに孤独感、憂鬱感にさいなまれることになるでしょう。
サ?ビスを提供されている側の人間であっても、幸福感よりも孤独感を増幅させる結果となっているこのサービスの何たる皮肉なこと。
それではサービスの供給側の人間はどうでしょうか。
前述の新聞記事にもあるように、自分の感情を押し殺す局面が増えれば増えるほど、自分のストレスのボルテ?ジは上がってきます。
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