事務所通信
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初めての入院生活 その3 [閑話休題   ]

2008-09-01

 さあ、楽になると途端にじっとしていられないのが私の損な性分でして、点滴はしていたものの6人部屋のベッドでゆっくりくつろぐとなるとどうしよう、と途端に迷ってしまいました。
 それでも、幸い今年の夏は北京オリンピックと夏の高校野球が重なったこともあり、昼間のTV放送もそうしたスポ?ツ番組をじっくりと観戦できました。
 こんなに夏の甲子園での高校野球そしてオリンピック競技の放映をじっくりと観たことは、人生50数年で初めてでした。しかしこれも私の悲しき性がムクムクと頭をもたげてきて、真昼間からこんなに寛いでいいのか、もっと別にやることがあるだろう、と囁くのです。
 こうした日々が1か月も続けば自分は気が狂ってしまうのではないか、とも思いました。
でもこれって、毎日働きバチであったサラリ?マンが、定年退職を機に体も心も定年後の生活環境についてゆけず、勤務していた日々のように定時に鞄を持って出勤していく悲しき日々と極めて似ていません?
 そうだ、これは神様から少し休めと特別休暇を与えて下さったのだから、罪悪感など持たずに十二分にTV観戦を楽しめば良いのだ、という気持ちとの間で揺れ動き、結局十二分には寛げませんでした。やれやれ。
 どうも自分は休暇に対する考え方が、高度経済成長時の日本人と似ていて、休暇を罪悪と考えてしまうフシがあります。だから休暇を取っても十分に寛げず、結局充実感を十分得ないまま、また仕事場に戻ってしまう、そしてその不達成感が仕事にも思い切り入っていけない、という悪循環をもたらしてしまっているようなのです。
 メリハリをつける、オン、オフをしっかり切り換える、オフが充実していればオンも充実できる、と頭では意識していても、現実の行動ととしてはどちらも中途半端になってしまう。
 このジレンマから未だに脱皮できずにいます。
 どうしてそうなるのかと言えば、一言で言えば自分自身を信用していないことに尽きると思います。 遊びに夢中になってしまうと、魂を遊びにとられてしまって、仕事に復帰できなくなるのではないか、という恐れがいつも自分の無意識下にあるがために、思いっきり遊びに入っていけないのではないかと思います。それはとりもなおさず自分への不信が根底にあるからです。
 気がついてみれば、人生の折り返し地点をとっくに過ぎ、あとは下り坂、もう楽しめる時間は刻一刻と減ってきているというのに、どうして自分の心が自分の行動にブレ?キをかけつづけるのでしょうか。
 あと10年元気で生活できると仮定したら、あと10年先には今ほどガツガツ仕事はしたくない、と思う一方で、今の自分の心が大きく変わらない限り、10年後も今と同じように仕事をしているのではないか、仕事に明け暮れているのではないか、という不安も大いに感じています。
 人生は仕事だ、と仕事を生き甲斐にしていらっしゃる人は、私のこうした心境は仕事を舐めているようにも受け取られかねないのですが、決してそんな気はありません。
 仕事は神聖なものであり、人生を賭けるべき価値の十分あるものです。
 しかし私は人生を終えて、仕事しか残っていない人生は歩みたくない。仕事のほかに余暇の時間の中でもう一つこれをやったという充足感を持っていたい。
 若いころにやった水泳、バイクももう20年近く遠ざかっており、この10年間でこれから老年に向かう自分の趣味を確立したいというのが、仕事以外での生きる目標です。