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家族制度について考える その2 [家族制度について]

2008-06-06

 第二次世界大戦以前は、日本の基本的な家族制度は家長を中心とした大家族制度でした。
その家長制度のひずみは、主に女性に過重な労働を強いることにありました。
 明治維新後、資本主義文明が日本に入ってくると、女性も男性と同様に扱うべきだという男女同権の考え方が急速に高まりました。
 女性を「家」という檻から解放し、女性にもっと自由を与えるべきだ、女性がもっと人間らしい生き方ができるようにすべきだ、という潮流が社会的に高まっていたところへ、第二次世界大戦の敗北によりアメリカ合衆国主導による財閥解体、家制度の解体、農地解放など旧制度の崩壊が一挙に進みました。
家制度の崩壊にさらに拍車をかけたのが、戦後の焼け野原からの戦後復興といわれる驚異の高度経済成長です。高度経済成長には多くの労働力を必要とし、「金の卵」といわれた地方からの若年労働力が大量に東京、大阪、名古屋などの大都市に移ってきました。
 そうした若年労働力を受け入れるために、大量のマンション、アパ?トが建設されました。
そして若年労働者が大量結婚して、いわゆる団塊の世代として日本経済をここまで牽引してこられたのです。
その家庭はほとんどが夫婦と子供数人のいわゆる核家族でした。地方に親を残してきているのですから当然そうなります。そうして大都市圏に若年労働力が集中した結果、地方は疲弊し過疎化が進みました。いわゆる二極化現象です。
 若い人は働く場がいくらでもあり、生き生きと働ける。特に女性は「家」という重い檻、鎖から解き放たれ自由になりました。
 今の日本女性がわが国の長い歴史の中でも、一番輝いているのではないでしょうか。
家から自由になり、経済力もある人が多くなってきました。お金と時間があるのですから思い切り自分のために使えます。未婚の女性が一番輝いているのも十分納得できます。
 しかし困ったことに自分が自由でありすぎると、束縛されることに耐えられなくなってしまう。
結婚を望まなくなる女性が増えてくるのも無理からぬことではあります。
 自由はどこまでも自由か?これを追及していくと、自分のために世の中が存在する、世界になってしまいます。
 自由にタガを嵌めないとキリがないのです。個人主義を野放図にしておくと、個人の欲望には限りがありませんから暴走してしまう。その結果自分のためにはいくら他人が犠牲になっても構わないというところまで行ってしまうのです。
 私は女性の自由化、男女同権そして社会進出に異論をはさむつもりは毛頭ありません、。
申し上げたいことが少々ズレてしまいましたが、私の言いたいことは核家族制度を見直しても、以前のような家長制度にもどることは決してないでしょうということです。
 これだけ女性が社会進出してなおかつ少子高齢化が進む中で、女性が今後も貴重な労働力として期待されていることも事実です。
 ただだからといって女性が社会の方にばかり目を向けていくことはできません。      特に結婚して母親の立場となってからは、子供の教育について中心的な役割を担うのは母親であり、だからこそ女性は子育てと仕事の両立という難しいかじ取りを強いられているのです。
 一般的にわが子が手のかかる幼児から、自我が目覚めて精神的に不安定な中学校を卒業するくらいまでの期間は、子供が特に親を必要としています。特に愛情面で。
 この期間に、二足のわらじを履いていかざるを得ないお母さんも多いでしょうが、願わくばこの期間は子供の教育に傾注したいと感じていらっしゃるお母さんも多いのではないでしょうか。
 現実問題として、母親が仕事場を離れられない以上、子供の教育をサポ?トしてくれる人が必要となってきます。保育園、幼稚園の先生、学校の先生も一生懸命お子さんの教育に取り組んでいらっしゃいますが、前回でも触れたように愛情面でのフォロ?はやはり家庭が中心となってやらなければならないと思います。
 繰り返しになりますが、その意味でも三世代以上の家庭が住める住宅政策を推進し、お年寄りの知恵がもっと発揮できる、そして親子が断絶気味である現状を再びつなぎ合わせるためにも、老人と子供が同居できる世帯の構築が急務ではないか、という思いをますます強くしている私です。