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家族制度について考える その4 [家族制度について]

2008-06-08

 邪心については、仏教の教えでは滅却するよう説いています。
私は浅学のため、邪心と人間の欲望とはどう違うのか、未だ区別がつきません
 私の解釈では、人間の欲望は限界を知らずそれがために己の欲望を追求するあまり、他人を押しのけ個人の利得のみを追い求める大変に性質の悪いものである。欲望の追求には他人を犠牲にすることも厭わず、それがよこしまな心、邪悪な心根につながり、結果己の欲望を追及していくと邪悪に満ちた心となる。
 確かに人間の欲望には際限がありませんから大変に性質の悪いものであることは間違いないと思います。それが証拠に僧侶はその始末の悪い欲望をできるだけ遠ざけるべく、人里離れた所で修行をし、欲望に目のくらんだ煩悩の克服に躍起となっていました。
 しかし凡人は、普通の人はそこまで己の生活そして時間を犠牲にできないわけです。
そこまで頑張らなければ救われないでしょうか。
 私は欲望は両刃の剣であると思っています。
 人間は生まれながらにして欲望がある。何故なら生物はすべてより強い種になるべく絶えず追い求めているのであり、より強くなることは生命そのものが欲していることなのです。人間も当然その例外ではなく、というより生物の最終進化形である人間は、強くなることへの欲求は他の生物に比べてより強大であると思います。
 欲求5段階説ではありませんが、食欲、性欲といった種の最低維持の欲求から始まって最後は自己実現欲に至る欲求です。
 ですからお坊さんの説くところを突き詰めていくと、生命そのものに対する否定になってしまうのではとも思えてしまうのです。勿論お坊さんの真に説くところは、欲望は底なし沼のように際限がなく人を傷つけてしまうから、欲望を最大限に抑えることを提唱していると思われます。
 欲望が際限のないことは認めつつも、それによって人間社会がはるかに便利になってきた功績は十分あるわけです。「必要は発明の母」と言われるように人間は快適なもの、より便利なものを追及してきたからこそ、サイエンスが発達し、資本主義社会が発達してきたわけです。
 ですから私はこう思っています。

 欲望をうまくコントロ?ルすることができればよいのではないかと。

 今の日本は物質文明の最盛期で巷はまさにモノ、モノ、モノであふれかえっています。殆どのモノ、サービスはお金で買えますから、必然的に拝金主義になってしまうのです。
 そういう今の現状は、人間が己の欲望に振り回されている、踊らされているだけです。
自分の心が主体でなければならないのに、欲望が主体となっている。まさに主客がアベコベになっている状態です。
 私は小さい頃母から何度も言われた中で特に印象に残っている言葉があります。
それは、人の心の中には良心と悪魔がいる。決して悪魔のささやきには乗ってはいけないよ。と。
 この悪魔こそ己のあくなき欲望であり、それが邪心につながるということでしょう。
 対して良心は、本来の己の姿、心根であり、己を正しい道に導く徳のある心です。
皆さんもこの良心と悪魔の存在は気がついていることと思いますが、私は幼いころからいつも強く意識してきました。
その結果、悪魔のささやきがあっても慌てることなくその言い分を聞いたうえで、最終的に良心に問うて、自分の行動を決めていました。
 要は悪魔のささやきに振り回されなければ良いのです。人間の欲望も暴走させず、うまくコントロ?ルすれば欲望が己を高めてくれることもあると思うのです。
 鵜飼が鵜をうまくコントロ?ルするように、欲望を適当に遊ばせて、頃合いを見計らって引き揚げれば良いのです。

 主体はあくまで己の良心です。その基本線さえ踏み外さなければ、少々の遊びはあってもよいのではないかと思うのです。

 しかし世間で起きるさまざまな不幸な出来事を見ていると、残念ながら悪魔に魂を売ったことが原因としか考えられない事件があまりにも多いことに愕然とする思いです。
 特に子供、若者の無軌道ぶりは目を覆うばかりです。まだ人としての正しい道を見つけられずにさまよっている子供、若者に対して、しっかりとした大人がきちんと導いてあげなければなりません。彼らは自分の頭の中、心の中が整理されておらず、混沌とした状態だから、容易に悪魔のささやきに無防備に乗ってしまうのです。
 幼児そして青少年教育の重要性がここにあります。人間としての基礎、骨格が作られるこの時期にこそ、またこの時期だからこそ何にも優先して子育てをしっかりやらなければなりません。 それも単に知識を詰め込む教育ではなく、人としてのあり方、人としての生き方を教える情操教育、道徳教育です。
 知識の詰め込みは後からでも出来ます。しかし情操教育、道徳教育は人格が固まる前しかできない。
 ですから私は家では一番子供と接する時間が多く、子供に与える影響力が最も強い母親による教育が最重要であると思いますし、そう考えると必然的にわが子が幼児期そして思春期が終わるまでは、女性が職場に出る機会は自ずから絞らざるを得ないと思うのです。
 もし不幸にして経済事情、家庭の事情等で母親が主力になって働かざるを得ないご家庭では、祖父、祖母が孫に極力寄り添って、母親のできない部分を十分に補ってあげることが必要であると私は思うのです。