私の愛読書?悩む力を読んで その5 [私の愛読書]
2008-10-19
集団という言葉を使うとすぐに全体主義への復活だとか、国粋主義を標榜する右翼などと騒ぐ人がいますが決してそうではありません。
そういう人たちでも、社会の最小の集団である家庭を持っていらっしゃるではありませんか。
集団=悪、個人=善、それを敷衍して、集団主義=悪、個人主義=善といういい加減な常識は、それこそもういい加減にやめにしませんか。
今こそ家庭という社会の最小集団構成単位を立て直し、それを推し進めて幼稚園から特に高等学校までの学校という集団での、個人と集団とのあり方をもっと検討し、集団の中にうまく個人を取り込んでいく工夫を考えていくべきだと思うのですが。
情操教育は基本的にはスキンシップの中から教えていきますから、当然家庭が中心になるでしょうが、人としての生き方、集団の中での個人のあり方、集団生活での規律を中心に説く道徳教育は、幼稚園から義務化し、これを授業の柱に据える位に重要な科目として徹底的に教えていくべきだと思うのです。
とにかく人を孤立化させてはなりません。人は孤立化し、どこにも頼るつてがなくなると、己の妄想に逃げ込んでしまいます。そしてますます現実から遠ざかっていき、社会との接点がますます遠のいて行くのです。
姜教授が説いておられるように、人は生きる意味を見失うと生きていられなくなるのです。
社会において身の置き場が無くならないように、社会のどこかの集団において、社会との関わりを持っていただかなければなりません。
社会から見捨てられず、社会からその存在を承認されることによってこの世に生を保っていられるのです。
中高年の自殺はまさに自己喪失感が主な原因なのです。
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