事務所通信
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農業、農家のあり方について その1 [農業について考える]

2008-06-14

 前回までで、家庭制度の在り方、特に核家族制度から三世代以上が住む家庭、一言で言えばお年寄りと孫が同居する家庭への転換こそが、最良の情操教育であるという私の持論を長々と述べてきました。
 今回は家庭制度と関連性もありますが、農家、農業に絞って農業政策の在り方について承継という観点から書きたいと思います。
 ここ2,3年で食の安全性に関する関心が飛躍的に高まり、それと同時に我が国の食糧自給率が39%という超低率であることから食糧の国産化を強力に進めてゆくべきだ、という声も大分挙がるようになりました。
 私の生家は横浜市緑区という横浜市のはずれである北西部に位置し、丘陵地帯にありますので、みなと横浜とは程遠い田園地帯が拡がる都会の中の田舎です。
 私は現在農業は全くやっていません。私の祖父が脳梗塞で倒れる前、昭和40年くらいまで農業をやっていたようです。父は横浜市役所の地方公務員であった関係で、祖父から農業は継ぎませんでした。
 この緑区そして隣接する青葉区はもともと、横浜市港北区の一部でしたが、まず港北区から緑区が分区し、さらに緑区から青葉区が分区し、現在は横浜市は18区で構成されています。
 緑区は文字どおり横浜市の中でも緑被率つまり緑で覆われた面積が18区中最も多い区で、確か直近のデータでは40%を超えているかと思います。山林と田、畑が多いからです。
 したがって農業、造園業、植木業など田畑、山林関係の仕事に就いていらっしゃる人も多く、横浜市というハイカラなイメージとは大分雰囲気が違いますが、地方の田舎に来たようなとてものんびりとした、そして人情味あふれるとてもほっとする町です。
 私の住む長津田は江戸時代、大山街道(江戸から伊勢原市にある大山までの大山詣での道です)の宿場町として賑わったそうです。また明治時代に入ると、この辺りは養蚕業が盛んだったところで、八王子と横浜を結ぶJR横浜線はその前身は生糸を横浜港まで運ぶ貨物線で、別名シルクロ?ドと呼ばれていたそうです。JR長津田駅南口の田奈農協長津田支所の裏にその名残を示す乾繭倉庫があったのですが。数年前取り壊されてしまいました。
 この地域は多摩丘陵地帯にあるため、丘が多く横浜市としてもグリ?ンベルトとして自然の山林を多く残せるよう、市街化調整区域を広く指定しています。ちなみに横浜市の運営するオカピのいるズ?ラシアは、横浜市緑区と旭区にまたがる自然を多く残した動物園ですが、旭区白根町、緑区新治町、三保町、そして長津田町は一連のグリ?ンベルトとなっています。
 また農地についても鶴見川そしてその支流である恩田川沿いは、一面市街化調整区域、それも農地としてしか利用できない農用地地域に指定されています。その他には横浜市北部斎場の近くの長津田町台地区も農用地地域に指定されています。
 そういった関係で、緑区、そして青葉区は東京都心そして横浜市中心部にわずか30分程度、距離にして20キロ圏内でありながら、地方の田園風景の風情を色濃く残した、まさに都会と田園とが混在するとても住みやすい町となっているのです。
 その証拠に、横浜市青葉区は日本全国で1900余りある市町村の中で、男性の平均寿命がなんと1位、女性も確か7位ぐらいと聞いています。勿論男女総合ではNO.1です。ちなみに横浜市緑区も男性が確か7?8位、女性も10数位とトップクラスです。
 理由はいろいろあろうかと思いますが、農業従事者が多いこと、地域での人の交流が盛んでお年寄りでもイキイキされている方が多いこと、そして近くに大学病院を始めとする医療機関が多いこと、都内に近いため最先端の情報が入りやすく適度な刺激を受けやすい環境にあること等挙げられると思います。
 私は農業はやっていませんが、農業をやっている人に元気な方が多いのにはビックリさせられます。80歳ぐらいで農業を一家の中心となってやっていらっしゃる方も多く、元気で闊達でまさに私のような中年にしてメタボになりかけの人間には、そうした元気なお年寄りの姿がまぶしく感じられると同時に、怠けている自分が恥ずかしくなります。